武将ヒゲが猛者猛者になるまで

今のところ私は「今の」「私の」考えしか述べることしかできません。また、人間は「より快」になろうとするんだと今は思っています。

ちょっと忙しい と 見えるかどうか

ネタがまだできあがらない

おいそが氏

 

 

クレーは「私は生み出すのではなく、見えるようにするのだ」と言ったという

ということは、私がクレーの絵を見て思いを至らせなければならないだろうことは、私の目の前にあるこれが今まで私に見えていなかった、ということなのではないか

もっと極端に言えば、クレーは見えるようにしただけだ、ただそれだけだとも言えるだろう

私には見えていなかっただけ、ただそれだけのことなのだ

では、もともと世界のどこかに存在した、例えば綱渡り師が、パルナッソス山が、あるいはレールの上のパレードが、クレーによって見えるようになったのか、と言えば、それにはすぐに「そうだね」と同意することはできない

かと言って、やはりクレーは綱渡り師たちを新たに生み出して描いたのだ、という意見にも同意することができない

存在するかどうかということ、存在するとは何かということ、これらは難し過ぎる

私は当座考えないことにする

 

この考えはなにも絵に関することだけにあてはまるものではないように思われてくる

例えば、私に今、ビルが見えているとする

はたしてビルは存在するだろうか?

そんな難しいことはいい、私は忙しい

見える、それでいいだろう

これは仕方のないことだ

現に見えているのだから

私とビルとの間に、視界を遮るものが存在しない

本当に?

いい、私は忙しい

見えない、それでいい