武将ヒゲが猛者猛者になるまで

今のところ私は「今の」「私の」考えしか述べることしかできません。また、人間は「より快」になろうとするんだと今は思っています。

「読んだ」とは何か

ブログへのアクセス数は、そのブログを読んだ人の数ではない

そのブログが読まれた回数でもない

今調べて知ったけれど、会社によって、ページビューセッションユニークユーザ、何を数えてアクセス数としているかは変わってくるという

ブロガーが自分のブログの評価をどこではかるのかはブロガーそれぞれだろうが、アクセス数ではなく、読んだ人の数を評価とするなら、誰も自分のブログの評価を知ることはできないだろう

読まれた回数を評価としても同じである

 

日常生活の中ではいちいち考えないことだが、我々は自分の書いたものを「読まれる」ことができない、と思う

感想を聞くことはできる

読んだよ、と言ってもらうことはできる

しかし、私でいうところの「読む」という行為、私と同質の「読む」という行為を、他人が行ったかどうかはずっと分からない

我々は他人が「読んだ」ことを了解することしかできない

他人が「読んだ」ことは、我々の中に我々自身の経験として立ち上がることはない

ある人が「読んだ」ことは、その人の中にしか経験として立ち上がらない

 

「読む」ということが数学に乗る形で定義できれば、「読まれた」ことをブログの評価とすることができるだろう