武将ヒゲが猛者猛者になるまで

今のところ私は「今の」「私の」考えしか述べることしかできません。また、人間は「より快」になろうとするんだと今は思っています。

昨日のと同意というもの

今度はスカイツリーで昨日のをもっぺんやろうかとも考えましたがやめました

 

 

 

エレアの人たちに言わせれば(言葉にさせれば)「あるものはあって、あらぬものはあらぬ」そうですが、やっぱりものの変化というものはあるような気がします

結局は自然と(こういう文脈では「自然と」という言葉はあまり使いたくないけれど)思われてくるように思うしかない

 

例えば、この瞬間が私の全て、この瞬間のみ私、と言ったって、ものの変化は感ずることができるでしょう

それは一瞬前というものがあった、ある、と思われてくるからに他なりません

そんなものは幻だと言われたって、そう思われるから仕方がない

 

同意できない人は同意しないでいるしかないのです

それでいい

ある人の意見にさしあたって同意できない、あるいは他人が自分の意見にさしあたって同意してくれないということは、冷静に見れば、大変尊いことだと思います

それは多様な意見があるということだからです

っていうブログの記事がいったい今日どれだけアップされたことか

「……「「「「今日は金冠日食だったね」っていうブログの記事がいったい今日どれだけアップされたことか」っていうブログの記事がいったい今日どれだけアップされたことか」っていうブログの記事がいったい今日どれだけアップされたことか」……」っていうブログの記事がいったい今日どれだけアップされたことか

活動休止ということは……

今日も今日とてTSUTAYA

School Food Punishment(略称SFP)の最初のアルバムと最後のアルバムを借りた

まずピロウズを手に取っていたんだけれど、次にSFPのアルバムを手に取ったらなんだか寂しくなってしまって、次に何を手に取っていいか、しばらくのあいだ分からなくなってしまった

オフィシャルサイトの「活動休止」そして「それぞれ別の音楽活動をしていく」という言葉

再開を期待していいのかしら?

 

今日の一つ目のブログ↓

http://blog.goo.ne.jp/musica0515_2006/e/22dddd9b5882ba3c45ad70617cabe9b4

モラルある

モラルある人とはつまり、いわゆるところの美徳にかなっていることが快感である人、または、それにかなっていないことが不快である人のことである

だから環境は、美徳というものがどういうものであるかを示すだけでは足りない

教育がもしモラルをも説きたいのであれば、子供たちを快にせしめる、また、不快にせしめる何かを研究しなければならないだろう

書く動機

これはもうしょうがないですね

書かないとしょうがない

 

書かないと不安だという人は、例えば詩を書くでしょう、例えばブログを書くでしょう

さしあたっては書かないと不安は解消されない、その不安が何かの勘違いだったとしても(書くこと以外でその不安が解消されてしまうということはありうる)

TSUTAYAの話の続き

嬉しかったのはSerial Experiments Lainが置いてあったこと

残念だったのは4巻だけ無かったこと(借りられていたのではなく、パッケージそのものが無かった)