ドイツ語の話の続きと音楽生活
昨日の続きっぽい話
そういえばちくまから出ている「完訳グリム童話集」にも、日本語タイトルの横に小さく縦書きで原題が書いてある
楽しみは広がる
今の僕の音楽生活について
昨日はいろいろCDを借りてiTunesに入れたけれど、入れてみてようやく分かったことのひとつが、PCを新調してからよく分からなくなっていた、「iTunesがどのフォルダのデータを取り扱っているか」ということ
データを外付けHDDで運んだはいいけれど、前のライブラリを開いたらプレイリストだけ復活して、再生しようとすると「データが見つかりません」の表示が出ていた
言い換えると、曲のデータは外付けにあるのだけれど、それとiTunes上のプレイリストとがつながっていないという状態であった
新しくCDをインポートした後、新規音楽データの入ったフォルダを発見、つまりそれはiTunesが今どのフォルダに入っている音楽を読み込んでいるかを発見したという意味なわけで、ようやく問題が解決
もう一つの気づきは、外付けDVDドライブの消費電力の大きさ
バスパワー駆動(いま変換したら「バスパワー工藤」になった……それじゃ仕出しの芸人だよ)と書いてあってもやっぱりハブをかませると電力不足になるようで、インポートしたデータが変なことに
直差しにして全部入れ直す羽目になってしまった
前も外付けHDDをハブでふたつ動かしたら変な動きをしたけれど、円板を回すのには電力が要るということ?
http://blog.goo.ne.jp/musica0515_2006/e/11084711d9ae2f2cf79ecad7ee601f67
続・鼻
いやね
鼻がね
治らないよ
鼻水が出て参りますよ
たまに止まるけど
マンガ
昨日、5月6日は特別な日だった
昨日は一年ぶりに「自分で買ったマンガ」を読んだから
この人は、うますぎる(少なくとも単行本が出ている「アンダーカレント」と「珈琲時間」では)
今敏(念のためにふりがな「こん さとし」)は「悲しみを表現するとき、例えばキャラクターが泣いているシーンを描いても、それは泣いていることを描いたに過ぎないのだ。悲しみを描いたことにならないのだ」と言っていた
これはもちろん悲しみの表現として泣いているシーンを描くことに否定的なのではなく、悲しみ、あるいは諸情動の表現が、時々によって差はあれ、困難であるということを言っている
豊田徹也は彼自身の表現で見事に、実に見事にその困難を解決する
当然ながら、あるコマに悲しみがあるわけでなく、文脈に悲しみがあるわけだが、彼の文はすっきりしていて、静かだ
線も文字も、煩くない
需要と供給のグラフが交わる点あたりで、彼は描く
今まで読んだ彼の話の中では、底抜けに明るい話は稀であった
どこかに不安や鬱屈や悲しみが見える
しかし彼は「それでいい」といった感じで描いてくる
人によっては彼の作品を読んで、非常にイライラするだろう
彼はどうも、キャラクターの問題解決の過程を楽しませるタイプではないようだからだ
それでも、解決されなくていいのであった
彼によって、彼のキャラクターによって解決されずに残ったものを見て、私は感動する
本棚
本棚のある部屋
………
いいですか?
じゃ次いきます
本棚のない部屋
………
やっぱり前者の方が引き締まった感じがすると思います
個人的には
一つ目のブログ↓
http://blog.goo.ne.jp/musica0515_2006/e/39315272959bd7839fabb739ec9332a3
「古い日記」という歌があったね
こんなことしていいのかとも思うけれど
というのは、はてなでgooのブログの宣伝するのはまずいかもしれない、ということだけど
以前書いていた一つ目のブログのアドレスを貼ります
http://blog.goo.ne.jp/musica0515_2006
買い物の記録なんかを書いていくと思います
よろしくお願いします